第九話・妊娠

 奴隷娼婦としての毎日が1年近くも続くと、娼館の中だけが世界のすべてであるかのような気がしてきた。
 私は本当に侯爵令嬢だったのだろうか。生まれた時から奴隷だったのではないだろうか。たまにそう思う。
 もし、肌や髪の色が皆と同じで、言葉も通じたなら、本気で妄想に取り憑かれていたかもしれない。
 けれど実際は違う。私は異国の生まれだし、教養もある。
 今となっては遠い記憶の中にしかないが、贅沢三昧の日々を忘れたことはない。
 それゆえに、いつまで経っても祖国への未練を捨てられず、未だにひっそりと泣いてしまうことがあるのだけど……。

 性行為には とうに慣れてしまった。
 男に身体を貫かれたり、快感に悶えたり、媚びへつらって奉仕したり、それらは今でも屈辱的ではあるが、その屈辱感は日常の一環と化していた。
 嫌なことには変わらない。でもそんなの、今の私にとっては、生理でお腹が痛くなるのと同じだ。避けたくても避けられないということを当然のものとして認識している。だから、我慢してやり過ごす。それだけ。

 現状を受け入れたわけではないものの、ただ無気力な奴隷生活を送った。
 それでも、『いつかなんとかなる』という想いはたぶん残っていたのだと思う。少なくとも、自分が妊娠していることに気付くまでは。

 妊娠した奴隷娼婦は堕胎させられる。
 毒を飲んで胎児を殺すのだ。
 成功率は高いが、母体への影響も大きい。
 最悪の場合は死に至る。そうでなくとも、後遺症が残ることがある。

 リンダは二度目の堕胎で失明した。
 まともに歩けない上に目まで見えなくなったとなると、娼館としては対処を考える必要が出てくる。
 結果、リンダの姿が消えた。
 どうなったのかは分からない。売り払われたのか、あるいは別の方法が取られたのか……。

 娼婦には妊娠の危険が常にある。
 私が1年以上も妊娠しなかったのは、単に運が良かったからだろう。
 しかし結局は避けられなかった。生理が止まり、唐突な吐き気に悩まされるようになった。
 まだ下腹部に変化はないので、身籠もっていると確定したわけではないが、これからのことを思うと気が重かった。

 妊娠が事実なら、いずれ毒を飲むことになる。
 後遺症が残る可能性はそんなに高くないけれど、万が一 失明したら、私もリンダのように処分されるに違いない。殺されるのだろうか。
 ひょっとすると、そういう娘を集めて働かせるような娼館があり、そこに移されるだけかもしれないが……。
 いずれにしろ、青空を見ることは二度とできなくなる。

 私はなんとか隠し通そうとした。
 お腹が大きくなれば見抜かれるだろうが、それまでは時間を稼ぎたかった。
 無駄な悪足掻きだと分かっていても、そうせずにはいられなかった。

 しかし数日後、嘔吐が止まらなくなり、娼館の主人に あっさりと露見してしまった。
 私は身体を押さえ付けられ、毒を飲まされそうになった。
 小さな杯に満たされたそれは濁りきっていて、飲んだら本当に失明しそうな気がした。
 口に入れられる直前、渾身の力を振り絞って抵抗すると、杯を叩き落とすことに成功した。
 酷く殴られることになったが、とにかくも窮地を脱したのである。

 予備は無かったようで、その日はとりあえず解放された。
 主人はまた飲ませようとしてくるだろう。新たな毒さえ入手できれば、明日にでもそうするかもしれない。

 毒の杯を思い出すと恐ろしくてならなかった。
 死ぬのも、目が見えなくなるのも、到底 受け入れられない。
 他の娼婦が寝静まった頃、私は脱走を決意した。
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