第八話・暴力

 何人もの客を相手にしていれば、特殊な性癖を持った客が来ることもある。
 女性を鞭打つことで興奮を覚える客は恐怖の対象だった。
 使用されるのは遊び用の小さな鞭だが、それを目にするだけで私の額には脂汗が浮かんだ。
 背中の鞭跡にも じんわりと汗が滲む。

 鞭打ちは娼館が認めており、拒むことはできなかった。
 軽く鞭を当てられるだけで悲鳴を上げる私を客たちは面白がり、結果として余計に いたぶられることになった。

 一番辛かったのは、拳による殴打だ。それを好んで行う客が居た。
 以来、男を見る目が変わってしまった。

 その客は、まず私を全裸で立たせてから、自らの動作によって、両手を後ろで組むよう指示してきた。
 私は従った。拘束しての性交が待っていると思ったのだ。そういう経験は何度かあった。
 しかし今回は違った。無防備の腹部をいきなり殴り付けられた。
 当然の反応として私は崩れ落ち、咳き込んだ。
 客はそれを許さず、私の髪を引っ張り上げ、強制的に立たせた。
 そして、客はまた両手を背中に回した。もちろん、私にそうしろと言いたいのだろう。

 『客が何かに怒ったからこうなった』と私は思い、泣く泣く後ろで手を組んだ。
 従わなければまた殴られると判断したからだが、どちらにしろ殴打からは逃れられなかった。
「あ、ぐっ……」
 客の拳が、下腹部に めり込む。
 倒れそうになったけれど、それを予期していた客によって支えられ、立った状態を継続させられた。

 客は怒っているわけではなく、殴打自体を楽しんでいる……。
 二発目にして察した私は、客の肩を突き飛ばして逃げようとした。
 けれどその動作は弱々しく、客は二歩 後ろに下がっただけだった。なのに私は反動で尻餅をついた。
 痩せ衰えた今の身体ではその程度の抵抗が精一杯だった。

 下半身から力が抜けて、放尿を始めてしまう。
 全裸のため、黄色い放物線を遮るものは何もなく、客の足元まで届いた。

 客は あからさまに表情を険しくして、異国の言葉を喚きながら、再び手を背後に回した。
 私は愕然とした。
 ここまでされても、殴られる体勢を自分からまた取らなければならないのか。
 頭の中が、焼き付いたように熱くなった。

 逆らったどうなるだろう。
 娼館の主人に告げ口されて、折檻を受ける? だとしたら、どのような折檻になる? 海賊のように鞭を振るうのは有り得るのだろうか?

 従ったらどうなるだろう。
 これで最後にしてもらえるのだろうか? まだなのだとしたら、いつまで続くのか。この客はこれからも通うつもりなのだろうか?

 様々な思考の末、結局は何も分からず、本能的に行動する他なかった。
 震える足を無理やり動かして立ち上がり、後ろ手の状態で男を見つめる。
 きっと私の表情は酷く情けなくなっているだろう。泣き顔で精一杯媚びている奴隷の表情だ。
 仕方がない。また懲罰の鞭を受けるくらいなら、死んだ方が良い。

 ……死んだ方が?  そうだ、奴隷生活から逃れる方法がひとつだけあった。
 とても恐ろしいことではあるし、そう簡単に成し得ることでもないけど……。

 男は、私が従うとは思っていなかったのか、目を丸くしていたが、次第に表情を変化させていった。
 まずは無表情になり、それから、何秒も掛けてゆっくりと笑みを浮かべたのである。

 私はそれを見て、尿道が緩むのを感じた。
 もしさっき漏らしていなかったとしても、今この瞬間に垂れ流していたことだろう。

 男が一歩 前へ踏み出すと、尿道がさらに弛緩した。
 すでに中身は空だと言うのに、身体がしつこく排尿を促してくる。

 男は私の肩に左手を置き、わずかに腰を落とした。
 右手はしっかり握り込まれている。

 ああ……。
 私は思った。
 死にたい……。

――――

 すべてが終わるまでに何度 吐いたか分からない。
 娼館に来てからは まともな食事を与えられていたけれど、その日は満足に食べることができなかった。
 少しでも喉に通すと、途端に吐き気が襲ってきた。水を飲む時でさえも胃が震えるのを感じた。

 食事中に嘔吐したら他の娼婦から罵倒された。
 いつものように何を言っているのか理解できなかったけれど、この件に関しては彼女らに感謝したい。
 ちょっとした騒ぎになったおかげで、娼館の主人も私の状態を把握するに至り、あの客は出入り禁止になったのだ。
 これは本当に助かった。
 もし同じことが繰り返されていたら死んでいたかもしれない。

 絶望的な奴隷生活の中であっても私は死にたくなかった。
 自殺願望を衝動的に抱いても、すぐ後には、やはり生にしがみつきたくなってしまう。
 あまり自覚はないが、『いつかは祖国に帰ることができる』と心の奥底で考えているせいだろう。
 現状だと、到底不可能であるようにしか思えないけれど。

 たとえ娼館から抜け出せても、島から出るのは極めて困難だろう。
 よほど大きな島でない限り、商船が出入りする港の数は限られている。娼館から脱走者が出たとなれば、まず手配が回ると考えた方が良い。
 浅黒い肌に黒髪ばかりのこの国では、白い肌に金髪の私はかなり目立つ。無数の目を すり抜けるのは現実的じゃない。
 言葉が通じない以上、黙認してもらうための交渉すらできないわけで……。

 まあ、日の当たらない生活から一時的にでも解放されるのなら、試してみる価値はあるかもしれない。
 暗闇に包まれた仕事部屋と地下室の往復だけでは、いつ気がおかしくなっても不思議ではない。
 時が経つほど青空が恋しくなった。
 風を受けながら空を見上げることができたなら、どんなに良いだろう。

 脱走の懲罰を具体的に知らなかった私は、そんな風に軽く考えていた。
 数ヶ月後、実際に目撃して震え上がることになる。

 脱走したのはリンダという少女だった。
 食事の時にいつも行儀が良かったので、おそらくはどこかの令嬢だったのだろう。
 私のように拉致されたのか、あるいは家が没落したのか、どういう経緯なのかは分からないが、裕福な暮らしから一転しての奴隷生活は、他の娼婦とは比較にならないほど耐え難かったに違いない。
 私にはその気持ちが良く分かる。

 とはいえ、脱走を考えていたなんて、普段の態度からは全く予想できなかった。
 私の目には、他の娼婦と同じく、諦めきって自分の運命を受け入れているように見えていた。

 3日後にリンダは連れ戻された。
 相当に殴られたようで、一瞬 見ただけでは誰だか分からないくらい顔が腫れ上がっていた。
 彼女は、私たちとは別の寝床に連行されていった。
 再びリンダの姿を目にしたのは、数え切れない日数を過ぎてからだった。

 戻ってきた彼女の顔からは腫れが引いていた。娼館に連れ戻されて以降は殴られていないようだった。
 まあ、娼婦は顔が商売道具なのだから、当然のことかもしれない。
 その代わりというわけではないだろうが、リンダは走れなくなっていた。歩くのさえも満足にはいかず、一歩一歩を慎重に踏み出さないとすぐ倒れてしまうようになった。
 彼女のカカトには傷痕が残っていた。

 脱走の罰としてだけではなく、私たちに対する見せしめという意図もあるのだろう。
 思惑通り私は震え上がった。
 リンダはもう二度と走れない。
 背中に鞭跡を刻まれている私は、それを他人事のようには思えなかった。

 同時に、自分の想像が正しかったことを確信した。
 娼館から出ることは可能でも、島からは出られないのだ。言葉が通じるリンダですらそうだったのだから、私なら尚更だろう。
 足を引きずって歩くリンダを目にするたびにその現実を再認識させられた。
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