第六話・娼婦

 港近くの奴隷市場は盛況だった。
 野菜や果物が売られている横で、次々に奴隷が引き立てられ、全裸にされ、競りに掛けられていく。
 全裸にされるのは、体付きを披露するためだ。肉体労働には耐えられそうか。病気にはなっていないか。買う側は真剣に吟味して、値段交渉をする。

 商人たちには、奴隷を見下したり嘲笑したりする様子が一切なかった。
 奴隷は商品に過ぎないのだ。
 商品を嘲る者は居ない。彼らの興味は、金を出す価値があるかどうか。それだけである。

 海賊は私たち捕虜を奴隷商人に引き渡すと、いくらかの銀貨を受け取って、どこかへ消えていった。
 口振りからすると、飲みに行くらしい。小金が入ったからか、とても楽しそうだった。

 彼らに対する憎しみはあるが、それ以上に、置いて行かれることに対する不安の方が大きかった。
 私たち捕虜の支配者は、言葉の通じる海賊たちから、言葉の通じない奴隷商人に変わってしまったのだ。
 先行きに不安を感じるのも当然のことだろう。

 奴隷商人は、身振り手振りで指示をしてきた。『ここで待て』とか『後ろに並べ』とか、その程度のことならば、案外 簡単に伝わるものらしい。
 奴隷商人の態度からは、言葉の通じない奴隷の相手に慣れていることが窺えた。

 海賊とも短い遣り取りしかしていなかったことからして、やはり彼らとも言葉は通じないのだろう。
 そうなると、私が侯爵令嬢であることも伝わっていないと考えるべきだ。
 ……どうやって侯爵家との交渉を呼び掛ければ良いのだろう。
 途方に暮れるしかなかった。

 ずいぶん長いこと待たされた後、私たちも競りに掛けられた。
 衣服はすべて剥ぎ取られた。

 5人ずつ横一列で商人たちの前に並べられた。
 私たちは全裸なのに、目の前の商人たちは服を着ている。この状況は、自分が奴隷に成り下がった事実を突き付けられているかのようだった。

 体格や肉付きだけでなく、歯並びや虫歯の有無まで調べられ、値段を付けられていく。身分も知性も教育も関係なく、単純に身体だけで評価が下される。
 海賊たちに輪姦された時よりも あるいは屈辱だったかもしれない。

 私の美貌と身体は商人たちの注目を集めたようだった。娼館で働かせればかなり稼げるだろうし、商人自身の慰み者としても価値があるということだろう。
 しかし背中を見て手を引く者も多かった。
 傷はとうに塞がっているものの、鞭跡は未だ消えず、それどころか傷に沿って皮膚が醜く盛り上がっていた。たぶん、一生このままだろう……。

 それでも相当な高値が付いたらしい。
 競りが始まった途端、あちこちから声が上がり、最終的に落札者が出た時には どよめきが起こったくらいだ。

 私たち捕虜は、すべて別々の商人に買い取られた。
 ここで別れたら最後、再び会える確率はほとんどないだろう。
 侍女に対する仕打ちを謝るのなら、今しかないかもしれない。
 そう思い、私はひとりの侍女に慌てて声を掛けた。
「ま、待って」
「はい……?」
 侍女は意外そうな顔で私を見た。
「えっと……」
 時間はない。すぐにでも新たな主人に連れて行かれてしまう。
 なのに、謝罪の言葉が出てこない。
 まだ自分の気持ちに整理が付いていなかったせいだろう。
 結局、何も言うことができなかった。

 しかし何故か、私の言いたいことが伝わったようだった。
 彼女は寂しそうな笑みをわずかに浮かべて言った。
「いいんです、もう」
「え? そ、そう、なの?」
「はい」
「…………」


 私に謝罪の意思があることをどうやって彼女は察したのだろうか。
 あるいは全然 分かってなくて、お互いに別のことを思い浮かべていたのかもしれない。
 けれど通じ合えたと思いたい。
 彼女と再会することは二度となかったのだから。

 私は商人の馬車に押し込められた。
 馬車の中には、同じように買われた奴隷が何人か居たが、全員の肌が浅黒かった。
 知り合いはひとりも居ない。不安で泣きたくなった。

――――

 しばらく馬車に揺られた後、私たちは下ろされた。
 目の前には大きく立派な建物があった。
 看板の文字は読めなかったし、商人の言っていることも分からなかったけれど、そこが娼館であることは なんとなく分かった。

 中に入る前に、私は上空を仰ぎ見た。
 ……相変わらず雲で覆われている。
 青い空を見たからと言って救われるわけではないだろうが、長いこと遠ざかっているせいか、どうにも執着心が出来てしまっているようだ。
 かつて男の子と見上げた時と同じ空を目にすれば、少しは気分が落ち着くのだろうか。
 実際のところは分からない。
 でも、だからこそ私は青い空を見たいと思うのだろう。

 とりあえず今は諦めるしかない。
 私は娼館に足を踏み入れた。
 まさか一切の外出を禁じられるだなんて、この時はまだ思っていなかった。

――――

 言葉が通じない世界にひとりで放り込まれるのは恐怖でしかなかった。
 何を言われているのかが分からないと、自分がどう思われているのかも分からず、嫌な想像ばかりが浮かんでくる。

 他の奴隷たちは主人の言葉を理解しているようだった。
 私だけが説明を受けられず、見よう見まねで娼館の仕事を把握しなければならなかった。

 娼婦と言えども、ただ男の相手をするだけでなく、割り当てられた部屋の清掃や、衣服や道具の準備なども、自分で行わなければならないらしい。
 ひとつひとつの作業は簡単だが、それぞれに独特の手順なり決まり事なりがあるので、一度ではとても覚えられそうになかった。
 特に私の場合、目で見て真似するしかないわけだし……。

 たまに分からないことがあっても聞くことができず、仕方なくそのまま作業を続行すると、大抵は上役に怒鳴り付けられ、時には平手打ちを受けた。
 屋敷で暮らしていた時によく見た侍女への仕打ちを、今 私が受けているのだった。

 当時は何とも思わなかった。
 嘲笑はしなかったが、同情もしなかった。
 新人苛めなんて私とは無縁の世界であり、興味を抱く理由はどこにもなかった。

 私と仲の良かった男の子は、たぶん別の感想を抱いていたに違いない。
 平民である彼は、大人たちの仕事風景を、いつか自分も通らなければならない道として見ていただろう。
 見えてる世界そのものが私とは異なっていたのだ。
 隣を歩いていながらも私はそれに気付いてすらいなかった……。

 でも、それでも、草むらに寝転がって一緒に見上げた空だけは、同じ光景として感じ取れていたはず。
 世間知らずのお嬢様でしかなかった私も、身分の違いを意識し始め、男の子とふたりきりの時間を貴重に思い、惜しんでいた。その気持ちは彼と共有できていたと思う。
 あの頃に戻れたら、どれだけ良いだろう。

 感傷に浸ると、決まって反動が訪れる。
 いきなり泣き喚きたくなる。
 本当にそんなことをしたら、また理解不能の罵声を浴びせられるのは分かり切っているので、そういう時、私は深呼吸をして感情を抑え込むのだった。
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