第三話・捕虜

 捕虜の扱いは苛酷を極めた。
 狭い船倉に数十人が押し込まれ、誰ひとり寝転がることができない毎日が続いた。
 性別も身分も関係なく、お互いの身体を密着させながら座り込んで眠るしかなかった。

 侯爵令嬢たる私も例外ではない。
 侍女や乗組員から気を遣われてはいたものの、私が横になるための空間が確保されることはなかった。
 誰かが誰かの上に乗れば不可能ではないが、さすがにそれは現実的ではない。
「申し訳ありません、コーデリア様」
 謝罪する侍女を私は無視した。
 普段の私なら、すべてを侍女のせいにして喚き散らしてもおかしくはないが、犯された直後では その元気もない。
「もう少しのご辛抱です。海賊たちは無理でも、奴隷商人と話を付ければ、きっとなんとかなります」
 あまりに楽観的な言葉に苛立ちを覚えたが、よく考えたら、それは私が内心で考えていたことでもあった。
 他人の口から聞かされて初めて分かった。なんて絶望的な算段なのか。
 眩暈がした。

 船倉に閉じ込められて最初の日は、捕虜にされてしまった者同士で仲良く励まし合う様子がよく見られた。
「希望だけは捨てないでいよう。諦めたら身体も弱ってしまうからな」
「たとえ奴隷として売られても、侯爵様に買い戻して頂けるかも……」
「おお。そうしたら、一生の忠誠を誓おう」
「頑張ろう。皆殺しにされなかっただけでも儲けものだ」


 船員たちの会話を私は黙って聞いていたが、何度それを遮ろうと思ったか分からない。
 非現実的なことばかり言って何になるのか。空元気は不愉快。目障り。
 怒りに任せて怒鳴り付けたくなった。
 しかしそんなことをしたら船倉は静まり返ってしまうだろう。この場を沈黙が支配したら、余計 息苦しくなるに違いない。
 だから我慢した。
 まあ、結局のところ、彼らの励まし合いは、その日で終わりを告げるわけだけれど。

 食料を与えられたのは、1日に一度だけ。それも、ひとりにつきパン一切れとか、その程度の量だった。
 当然ながら足りるはずはない。
 おまけに、ずっと足を畳んで座りっぱなし。用を足す時だけ船倉から出してもらえるが、すぐに戻されてしまう。
 次の日にはもう、他人を気遣える余裕のある者は居なくなっていた。

 2日目の朝。
 年配の航海長が突然 声を荒げた。
「さっきから何だ! お前は!」
 みんな、何事かと航海長に視線を向けた。

 怒鳴り付けられたのは、航海長の隣に座っていた若い船員だった。
「え? な、なんですか?」
 彼は困惑して聞き返した。
「とぼけるな! 膝が当たってるだろ! 自分だけ楽しようとして足を広げるな!」
「あ、いえ、すみません……」
 若い船員は恐縮したが、納得していないであろうことが態度から見て取れた。
 航海長も察したようだった。
「おい、文句あるのか! お前が足を投げ出すから悪いんだろ!」
「投げ出すって……ちょっと当たったくらいで……」
「なんだと!」
「何ですか! 足が当たるのはお互い様じゃないですか!」
「なに反抗してんだ お前!」
 今にも掴み合いになりそうな勢いだ。
 そこでようやく船長が口を開いた。
「まあ、まあ。落ち着けよ、ふたりとも。いがみ合っても何にもならんぞ。余計に体力を使うだけだ」
「…………」
 ふたりは黙り込んだが、明らかに禍根が残った。

 こうした喧嘩は、彼らに限ったことではなかった。
 女の乗客同士でも諍いは起こった。
「あの……あまり寄ってこないでくれませんか?」
「え? そっちが姿勢を変えた時にこっちに寄ってきたんですよね?」
「人のせいにするつもり? 信じられない……」
「言い掛かりはやめてください!」


 醜い光景だった。
 夜になるまで、あちこちで罵り合いが発生した。
 劣悪な環境と不安感により、誰もが些細なことで相手を非難するようになったわけだが、これは、人格が変貌したと言うより、本性が顔を出すようになった、と考えるべきだろう。

 普段の彼らはここまで短気ではない。我慢をすることができる。個人差はあるものの、状況によっては、自分が損をすることすら許容する。
 しかしそれは、善意からくる行動ではない。
 人が人に遠慮をするのは、その方が得だからだ。
 我慢をしなければ不利な立場に置かれるからそれを回避するためとか、ある一方で損を取れば別の一方で得をするとか、そういう計算に基づいてのことなのだ。

 だから、全く見通しの立たない現状では、遠慮をする意味が薄れており、たびたび喧嘩が起こる。
 彼らの性格そのものは何も変わっておらず、状況によって別の面が見えたというだけのことに過ぎないのである。
 もし海賊たちが解放を約束していたなら、今まで起きた喧嘩のほとんどは、どちらかが折れることによって未発生に終わっていただろう。

 私が船員や侍女から未だ特別扱いを受けているのも、貴族への忠誠心が発揮されているからではない。
 彼ら彼女らは、万が一 解放された時のことを考えているのだ。
 私を無下に扱ったら、無事解放された後に報復が待っているし、逆に、この一大事においても私を支え続ければ、恩を売れる。
 そのような計算が彼らに働いているから、私は支給のパンを優先的に受け取れるし、座る空間も広く確保されているのだ。

 けれど、その『万が一 解放されたら』というのが どれほど気の遠くなるような確率なのかを、彼らが冷静になって考え直した時、私に対する遠慮はどの程度 維持されるだろうか。
 ……あまり想像しない方が良いかもしれない。

 夜。
 みんなが寝静まった頃、ふたりの男がいきなり暴れ出した。
 昼間に口喧嘩をした年配の航海長と若い船員だ。
 どうやら、あれ以降も互いの身体が何度も触れていて、我慢の限界にきた航海長が、若い船員を殴り付けたらしい。
 若い船員が反撃に出て、そのまま殴り合いに発展したようだ。

 迷惑なのは周りの船員たちである。
 窮屈な座り姿勢で無理やり睡眠を取っていたところ、暴れるふたりの肘が頭に当たったり、殴り飛ばされた身体に押し倒されたりしたのだ。
 激怒した周りの船員たちは、喧嘩を止めるどころか、自分たちも一緒になって殴り合いを始めた。
 男たちの怒鳴り声に、侍女たちの甲高い悲鳴が混ざった。

 しばらくして船倉の扉が開かれた。
「てめえら、静かにしろ!」
 あまりの騒ぎに海賊たちも睡眠を邪魔されたらしく、何人かが様子を見に来たようだった。
 今まで怒り狂っていた船員たちは、海賊に一喝された途端、しゅんとなって下を向いてしまった。

 私は呆れた。
 海賊に逆らえないのは仕方ない。相手は武器を持っているし、戦闘に慣れているだろうから、戦っても無駄だろう。
 それは良い。けど、海賊に対しては無抵抗なのに、同じ捕虜に対しては強気に出るなんて、恥ずかしくはないのだろうか。弱者なら弱者らしくしているべきだろう。
 私のこの気持ちを船員たちも少しは持っているのか、海賊たちが船倉から引き上げると、みんな座り込んで気まずそうな表情を浮かべた。

 その夜はあまり眠れなかった。
 静かになった直後、侍女の啜り泣く声が聞こえてきた。
 男の誰かが「うるせえぞ!」
と怒鳴ると、侍女は必死に声を抑えようとしたが、長くは保たず、また鼻を啜り始めた。
 幸いにも二度目の怒声は上がらなかった。
 諦めたのか、あるいは、自分の怒鳴り声を海賊に咎められるのを恐れたのかもしれない。

 さっき来た海賊たちは、手近な船員を何度か殴り付けると引き返していったが、次もその程度で済むとは限らない。
 海賊たちの気分ひとつで殺されてもおかしくはないのだ。
 私たちが生かされているのは、奴隷として売り払うためという一点だけが理由であり、逆に言えば、その分のお金さえ惜しまなければ、殺さない理由はどこにもないということになる。

 いつの間にか、複数の女が啜り泣いていた。
 最低でも3人。ひょっとしたら4人以上が泣いていたかもしれない。
 もう誰も注意しなかった。
 私も、うるさいとは思わなかった。
 なぜなら私自身も泣きそうになっていたからだ。

 日が経つごとに、周りの侍女たちと私の物理的距離が縮まってきた。
 最初の頃は、多少 身体を捻ったくらいでは触れたりしないくらいの空間があったのに、気付いた時には、少し動いただけで肩がぶつかりそうな隙間しか無くなっていた。

 これはたぶん、意識して無遠慮になったわけではないだろう。
 用を足しに立ったり座ったりしているうちに、空いている床の方へ、つまりは私の居る方へ、少しずつ ずれてきてしまったのだ。
 侍女は気付いているだろうが、修正するには他の人を押し返すしかなく、それができずに黙っている。そんなところではないか。

 まあ、仮にそうだとしても、次第に遠慮が無くなってきているのは確かだと思う。
 普段の侍女たちなら、どんなに無理筋でも、私のために他の人を押し返そうとしていたはず。
 今はもう、そこまでするほどの価値を私に見出していないのだ。当然の思考だろう。故郷に帰ることができないのだとしたら、侯爵家の令嬢に尽くしても意味はないのだから。
 私に渡されるパンはまだ多めだが、それもいつまで続くかは分からない。
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