第一話・海賊

 揺れる船内で私は溜息を吐く。
 船酔いが憂鬱なのではない。いやそれも問題ではあるけど、そんなのは一時的なこと。目的地に着いてしまえば解決する。
 だけど結婚はそうもいかない。一生に関わる。なのに、相手の顔も知らないまま事が進み、私は今、嫁ごうとしている。
 理不尽極まりない話だと思う。

 まあ、ずっと前から分かってはいた。
 私はノース侯爵家の三女で、政略結婚の道具なのだ。結婚によって他の家と結び付きを強めるという一点だけが私の存在価値……。

 だから私の意向が考慮されることはない。
 住み慣れた屋敷を出るのは嫌だとか、親しくなり始めたばかりの執事と離れたくないとか、そういう当たり前の感情は、ただの我が儘だと受け取られる。
 両親は特別 厳しいわけではないけれど、結婚に関しては決して譲ることがなかった。

 私はすぐに諦めた。
 酷い押し付けだとは思うが、同時に、受け入れるのが筋だろうとも思う。

 仮に、私が質素な生活を心掛けてきたのなら、家の都合で結婚相手を決められることに文句を言っても良いと思う。
 けれど私は、生まれてから今まで、贅沢な毎日を送ってきた。
 領民に餓死者が出た年であろうと、食卓には毎晩 高級料理が並んでいた。
 一般人が生涯 目にすることすら叶わないような装飾品を、毎日のように取っ替え引っ替えしたこともあった。
 これからもそうやって生きていくつもりだし、私にとっては当然のことだ。

 であるならば、政略結婚も甘んじて受け入れるべきだろう。
 なにも、無意味なことを押し付けられているわけではないのだ。どの名家でも政略結婚は行われている。家の繁栄には不可欠だからだ。
 特権には義務が伴う。私が豪華な食事に有り付けるのは、先祖代々が貴族としての義務を怠らなかったからに他ならない。
 何の疑問も抱くことなく豊かさを享受しておいて、いざ自分の役割が回ってきた時だけ家の不満を口にするのでは、あまりにも都合が良すぎる。

 貴族としての地位を否定するなら否定する。肯定するなら肯定する。どちらなのかハッキリしなければ、筋が通らない。
 少なくとも私はそう思う。

 とはいえ、進んで結婚を受け入れることは、やっぱりできないのだけれど。
 溜息ぐらいは吐いても良いだろう。

 ……沈んでいても仕方がない。
 甲板に出て風に当たろう。
 空を見れば少しは気分が晴れるだろうし。

――――

 甲板に向かって廊下を歩きながら思う。
 空は好きだ。
 小さい頃は空を見上げてばかりいた。
 いつも隣には、同い年の男の子が居た。家に雇われている庭師の息子で、平民。私とは身分の差があった。
 当時はまだ幼くて、大人の事情とは関係なく一緒に遊ぶことが多かった。

 よく彼は草原に寝転び空を見上げた。私も付き合って同じことをした。
 周りに何もないところでそうしていると、この世界には空しかないような錯覚がした。
 私と彼以外に誰も存在しない世界があるとしたら、それはそれで悪くはないかもしれない。
 身分というものをなんとなく理解し始めてきた頃、たまにそういうことを考えた。

 彼は13歳になると軍人になった。飛行隊の見習いになるという。
 この国は航空兵力の育成に力を注いでいるようだけど、飛竜を操るための魔術開発自体は、他国に比べて特に進んでいるわけではない。
 まともに飛べるようになる隊員は極一部だ。上手く飛ぶためにはコツが要るというのに、それは天性の才能に寄るらしい。
 たまたま彼にそんな才能がある確率は、決して高くないだろう。

 厳しい体力訓練の末に初飛行の機会を得られるが、そこで適性の無さが露見すれば、飛竜から下ろされてしまう。努力も無駄になる。
 それでも彼には迷いがないようだった。
 何にも縛られない空を自由に飛んでみたい、と彼は言っていた。

 あれから3年が経った。彼とは一度も会っていない。

 結ばれることのない私と顔を合わせるのが辛いから軍に入った……。
 そう思うのは自惚れすぎだろうか。

――――

 甲板に上がる直前で侍女に止められた。
 理由を聞いても要領を得ず、ひどく慌てていることだけが分かった。
「邪魔よ、退きなさい」
 面倒なので私は無理やり押し通ろうとした。
 しかし――。
「お待ちください!」
 侍女に肩を掴まれた。普段なら有り得ないことだ。
「無礼な!」
 怒りに任せて平手打ちを放つ。
 それでも侍女が引かなかったので揉み合いになった。

 そうこうしているうちに見知らぬ男が甲板から下りてきた。
 男は粗末な衣服に身を包み、薄汚れた斧を手に持っていた。
 海賊という言葉が私の頭に浮かんだが、何の前触れもなく現れたせいか、どうにも現実感がなかった。
 恐怖よりも先に疑問が湧き上がった。
 戦闘行為が起きた様子はなかったのに、なぜ突然ここまで侵入できたのか? 甲板の様子はどうなっているのか? 船はすでに降伏しているのか?

 斧で威嚇されても私は悲鳴を上げなかったが、別に度胸があったからというわけではなく、ただ状況を把握できていないからだった。
 手を掴まれた瞬間、空いているもう片方の手で男の頬を打ったのも、危機感の無さの現れだ。

 直後にはさすがに後悔した。
 問答無用で手を掴んでくるような男を怒らせたらどうなるか、それが分からないほど馬鹿ではない。

 幸いにも男は怒り出したりしなかった。
 どころか、私の顔に目を向けると、見せ付けるように笑みを浮かべたのだった。
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